◆起源
起源は定かではありませんが、針供養は、江戸時代に婦人病や安産に効験ありとする淡島神社(和歌山市加太)の信仰が広まる過程で、同社の祭神を婆利才女(はりさいじょ)とする俗説が信じられるようになり、針を扱う女性の間で次第に定着していったものとされます。明治の頃まで裁縫師匠の家では、この日に針子(裁縫の仕事をする娘 お針子)達は、晴れ着を着て集まり、米・にんじん・大根・ごぼうなどを持ち寄り、五目飯などを作り、一年の折れた針を集めておいて、五目飯とともに淡島様(淡島神社)にお供えし、針仕事の上達や針でケガをしないようにと祈願しました。
◆暦から
もともと農耕民族の日本人にとっての「田の神」という神様があり、2月8日を「田の神」迎えの日、12月8日を「田の神」送りの日とされていました。この2つの日は、恵比寿様や大黒様など諸々の神様も移動される日であると考えられていました。関東では、12月8日以前に「田の神」はお還りになられ、他の神々が12月8日に移動すると考えられていたために、12月8日よりも2月8日は重要な日とされていたと思われます。また、2月8日は「こと始め」の日ともされ、「針供養」をはじめ「子祝い」が行われる重要な折り目の日となりました。
針供養は、2月や12月に全国的に行われていますが、2月8日と12月8日の2回行う(京都市嵐山の法輪寺)所や、京都府城陽市にある衣縫神社では4月29日、北海道や東北、長野などでは、冬は雪深いために4月や6月に行われるところもあります。
全国の針供養の謂われを見てみますと、12月8日は針に関する色々な習わしを伝える日ですが、現在では「こと始め」の日の2月8日に重ねて針供養を行っている所が多くあります。神事の暦上の意味合いも含めて、派生的に生まれた針供養は、この日に針を使うと「火にたたる」といわれ針仕事を忌み慎み、また、田の神を迎える日として田畑の労働のみならず家屋内の労働や女性の針仕事も休みました。特に針供養を行うのは、そうした機会に女性の主な作業であった針仕事に用いた折れ針を、地に埋めたり川に流したりして処分し、かねてからの感謝の意を表そうとしたものと見られます。
◆地方の謂われ
- 東京では、こんにゃくに針を刺してこの日に流すと、裁縫が上達するとされています。
- 山梨ではこんにゃくや豆腐に針を刺して神棚に上げ、この日に限り主婦が主人になって客を招いたりします。
- 京都府の北海岸地方では、河豚が竜宮の乙姫様の針を盗み、流しものにされた日とされています。
- 鳥取では、12月8日にこの魚が川岸に吹き寄せられ、この日にだけにしかいない魚だと信じて、朝の浜へ拾いに行く習わしがあります。また、日本海岸では針千本という怪魚が、12月8日に浜へ吹き寄せられるということは広く言い伝えられ、浜でこの魚を捕ってきて魔除けにするところもあります。
- 富山の伏木辺りでは、昔、姑にいじめられた嫁が針山の針を盗んだという無実の罪をきせられ、海に身を投じたのがこの日で、前日より海が荒れ、嫁のある家々では針仕事を休んでその供養をするともいわれています。
- 石川県では海栗(ウニ)を針守りの神としている例もあります。
- 北陸地方では、針歳暮といって、嫁と嫁の実家との間で贈答をするなど諸種の伝承が見られます。
- 京都では12月18日に行うところもあり、「砂払い」といってこんにゃくを食べ、老人は焼豆腐を食べます。そしてこんにゃくに五色の糸を通した針を刺し、それに一年間折った針を刺し地に埋めます。
- 長野の諏訪地方では婦人は針を飾り、これに紅と粉糖と塩をお供えしたり、牡丹餅をあげたりします。
- 佐渡ではこの日を忌祭といい、糸を績まないという土地もあります。
この日が本来、言動を戒め慎む日であり、針を使用することを忌み嫌ったことがわかります。