2013.9.8 第27回中部ブロック和裁指導者研修会

2013.9.8
第27回中部ブロック和裁指導者研修会

2013年9月8日~9日、岐阜県可児市御嵩町の、鬼岩温泉・了山(りょうざん)で開催されました。当日は、小雨が降る中、中部ブロック四県から47名の参加がありました。
研修会は、午後2時より行われ、始めに開催県を代表して堀部岐阜支部長が「今朝のニュースで東京五輪が決まりましたが、その誘致プレゼンテーションの中で滝川クリステルさんが『おもてなし』と発言されました。日本のおもてなし文化の中には、江戸時代以前からの文化もあります。今回の研修会は、和の物の講演ですが、おもてなしの文化が織り込まれていると思います」と挨拶されました。また、今年の五月からブロック長になった西岡弘和支部長は近年の和裁業界の状況を述べ「技術や加工料の問題もありますが、地元の人の仕事は、地元の人が作れるように、和裁技術を残してゆきたいと考えています」と述べました。その後、日本工芸会の山田正和氏、鳳川伎連の幇間、喜久次氏の講演がありました。

「陶芸の話」 山田 正和 氏
冒頭に山田氏は「よくデパートなどの展覧会に、これは志野焼ですか、織部焼きですかと聞かれますが、佐賀県の有田焼、石川県の九谷焼、岡山県の備前焼など地域に一つずつ焼き物がありますが、美濃焼は志野や織部、黄瀬戸、瀬戸黒など混ざって出来た焼き物です」とプロジェクターを使って説明した後、志野焼は暖かく味わいがあり、織部焼きは釉薬に鉄と銅を使い緑色のものが多く、黄瀬戸焼きは静かなイメージできっちりしたデザインで鉄を使うため黄色をしているなど各地の焼き物の特色を説明。また、中国の焼き物は丸く隙間のない物で、日本に入り丸い物を歪ませて変形させ、美濃焼は今から四百年前の桃山時代に始まったと歴史も説明されました。後半には、五代目の息子さんが登場し、黄瀬戸を中心に製作過程のビデオを写しながら解説されました。「伝統工芸品は昔からある物だけを使いますが、私は色々なデザインを取り入れ釉薬を試行錯誤しながら作っています」と自らの作品を受講者に見せながら説明をされました。

山田正和氏による陶芸の話

山田正和氏による陶芸の話

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「遊宴文化あれこれ ~芸舞妓の衣装を中心に~ 」 鳳川伎連 幇間 喜久次 氏
「幇という字に助を付けると幇助、どちらの漢字も助けるという意味で、「間」は宴席という意味。幇間とは宴席の間をつなぐという役目です。現在、東京(浅草)に六名、岐阜に一名存在しています。江戸時代中期から芸者が存在していましたが、宴席などで芸を披露する芸達者な人を芸者と呼び、はじめは男でした。それに対して女性が少しずつ進出して、最初は芸者に対し女芸者といわれていました。幕末には逆となり、男芸者のことを幇間(太鼓持ち)といわれるようになりました。幇間の別名は太鼓持ち、もう一つの呼び方は御伽衆(おとぎしゅう)で、戦国時代の古田織部や千利休、曽呂利新左衛門らは、素養や話術、芸能に秀でた御伽衆とか芸者と呼ばれていました。彼らは豊臣秀吉(太閤さん)に仕え、今日に伝わる新たな文化を築きました」と説明されました。
また、関東は羽織を着るが、関西は羽織を着ない、上座は神座といい返杯は直来(なおらい)となり、宴席の料理で焼き物が出たら御座附(おざつき)となり芸が始まり、席を立つのはタブー。芸が終われば無礼講となり、最後は納め(おばば)お開きとなるなど、宴席でのしきたりも解説。その後、舞子の喜久雛さんが登場し、きものや帯、かんざし、頭髪(舞子は地毛・芸者はカツラ)、化粧は三色を使い白・紅・黒で、口紅は入り立ては下唇のみとのこと。「支度は一時間ほどかかり、舞子から芸子になることを衿替えといい、衿元は赤の地に白の刺繍。きものは関西はお引きずりで、関東はお引きずりなしで違いがあります。関西の岐阜・奈良・京都に舞妓がいますが、肩揚げ・袖揚げは未成年の証です。」と喜久次さんが説明されました。
そして受講者に舞子の黒紋付きの着付けを行いました。岐阜県では十八年ぶりの舞子誕生となった喜久雛さんは、平成二十二年にお見世出しをし、現在茶道、舞、三味線、唄、鳴り物を習っています。

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その後、午後六時より懇親会が行われ、「遊宴文化あれこれ 実践編」が行われ鳳川伎連の方々と共に喜久次氏、喜久雛さんが登場し、受講者の席へ一人ずつお酌をしました。また、喜久雛さんや喜久次氏の舞、宴席でのお遊びを全員で体験することが出来ました。

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